新浦壽夫『僕と野球と糖尿病』

 

ぼくと野球と糖尿病

ぼくと野球と糖尿病

 

 

・野球選手であることが“仕事”だった人

・過渡期の巨人軍への忸怩たる思いと長嶋さんへの一筋縄でいかない思慕

・出自と病に翻弄されながら自分の足で立とうとする繊細な強さ

 

なぜ文藝春秋さんはこの本を絶版にしたまま文庫にしないのかと問いたい。それくらい良い本です。

新浦壽夫さんは70年代の巨人で活躍した投手です。またの名を金 日融。在日韓国人2世として静岡で生まれ育ちます。とくべつ野球が好きだったわけでもないものの体が大きかったために少年野球をはじめ、静岡商業高校の野球部で投手として頭角をあらわし、甲子園に出場。68年夏に準優勝と成績を残し、大注目を浴びます。当然プロのスカウトが駆けつけてくるわけですが、当時、外国籍の選手は日本で生まれ育っていてもドラフト制度の適用を受けませんでした。それゆえMLBサンフランシスコ・ジャイアンツも含めた6球団が彼のもとに押しかけ、結局巨人が契約金を上積みして学校を中退させるという荒業に打って出て、獲得します。新浦選手のこうした経緯を経て、日本の学校で教育を受けたものは外国籍であってもドラフトにかかる制度ができたのです。在日コリアンのみならず、例えば日本ハムファイターズ陽岱鋼選手なんかもそうですね。

まぁこのあたりは少し野球が好きな人なら知っている話ですし、この本の中でも扱いはたいへん少ないです。その後すぐ、巨人に入団してから怪我に泣かされるルーキー時代の話がつづられます。

この本全体を通して感じるのですが、トーンが暗い……暗いというと少し語弊があるかな。あるいは、この本を読んだのと前後して中畑清さんの『キヨシのいつも絶好調!』を読んだせいで余計そう感じるのかもしれませんが、

 

キヨシのいつも絶好調!

キヨシのいつも絶好調!

 

 

(これも絶版なのか……)

あまり明るい話はないです。でも別にクソ真面目なんだな、という感じでもない。なんというか、とにかく野球を仕事として捉えている人、という印象を受けます。今でいうと今季から横浜ベイスターズに移籍した久保康友投手に似ているかもしれません。

長嶋監督政権時代の75年、左のリリーフとしてひたすら登板させられた時の気持ちを、彼はこう語ります。

後年、あの時の試練がピッチャー新浦を作ったのだとよくいわれた。本当にこの時の経験が投手としての私を一人前にしたのかどうかは、私自身にもわからない。当時の気持ちを素直にいえば、「もう投げたくない」の一言に尽きる。プレッシャーではない。ただ投げたくなかった。球場にも行きたくなかった。 

こうした率直な心境が、むやみな修飾無しによく語られます。こうした話の中では「この時の経験が私を作った」と書いてしまうことはとても簡単だと思うけれど、新浦さんは決してそうは語らない。真摯で率直、それは本人も認める神経質さや繊細さと表裏一体であり、プレー以外の面でストレスを溜めやすかったであろう人柄が読み取れます。

そして長嶋監督時代に活躍した彼は、その後にやってくる藤田監督時代にうまく乗りきれず、83年に巨人軍から戦力外通告を受けます。もう野球を辞めようかーーその前後で長嶋監督が持ってきたのが、韓国・三星ライオンズへの入団の誘いでした。巨人で100勝をあげたい、そう言う彼に対する長嶋さんの発言の書き方に、長嶋さんという人が新浦さんにとってどういう人物だったのか、見えるような気がします。

名球会の入会資格は二百勝だしね、そうこだわらないで、一度向こうで投げて、また帰ってくればいいじゃないか」

こだわらない明るさで、長嶋さんはいった。 

ここで地の文に「こだわらない明るさで」と持ってくるところに、構成者の意図ーーひいては新浦さんの気持ちが見えると思うのです。神経質だとご本人もこの本の中で書いているように、新浦さんというのはこだわってしまう人です。だから巨人から放出されたエピソードの末尾に、今でも

巨人軍への思いを吐露しようとすると、けっこう複雑な感情が揺れ動く。その気持ちをひとことで説明するのが難しいのだ。 

 と記す。ここだって、先ほどと同じように簡単に、クリシェでまとめてしまうことはできるはず。でもそうはしない、自分の感情をできるだけ確かに書き留めたいとこだわってしまう。だからこそ、「こだわらない明るさ」を持つ長嶋監督への、中畑さんほどあけっぴろげではない、ひっそりとした思慕が見えるなぁ、と思うのです。

その後結局韓国リーグ入りを決断し、

「私生活も含めてマスコミに取り上げられるようなことを起こしたくない。どんな些細な事でもマスコミ沙汰になれば、きっとトラブルは新浦個人を離れて、政治的、国の問題に発展すると思う……」 

というほどの悲壮な決意を持って彼は三星に入団します。

比較的よく知られた話ではありますが、韓国では在日韓国人に対する差別が存在する、といわれています(実際、新浦さんもそのように記しています)。これは今でも変わらないらしいですが、 日韓基本条約からまだ20年しか経っていなかった84年当時は、今よりもはるかに深刻であったことでしょう(今は今でまた別の緊張関係にありますが……)。

そもそも韓国のプロ野球リーグが設立されたのは82年。まだまだ球界自体が過渡期にある中で、新浦選手は自身の日本球界での経験をできるだけフィードバックしようと努力しながら、同時に韓国での生活にできるだけ馴染もうとしつつ、85年には25勝という偉大な成績を残します。そうした中で、糖尿病を発症するわけです。本の半ば過ぎから、糖尿病の話が本格的に始まります。「糖尿病性昏睡と低血糖昏倒」の違いを比較する表が載っている野球選手の本なんて、この本くらいでしょう。

87年に帰国して以降、92年に引退するまでのエピソードは、野球よりも病の話が中心に語られます。そして引退してから後は、どういった闘病生活ーーというか、病気との付き合い方をしているか、という話が中心です。

あとがきにある一文がとても興味深かった。

昭和二十六年、1951年に生まれ、私たちの世代は「シラケ世代』と呼ばれ、自分自身の物語をさまざまに熱く語る上の世代の人たちから疎んじられていたような気がします。 

野球選手の本のあとがきで「しらけ世代」という単語が出てくるのはちょっと斬新だな、と(笑)。こうした世代性に加え在日韓国人であったがゆえに偏見や差別を受けた若い頃があって、病気について語ることも避けてきた、と新浦さんは記しています。この本の中では時代性を帯びてとてもドラマティックである彼のプロ野球生活と闘病生活がつぶさに語られているにもかかわらず、決して内容のわりに熱い筆致にはなっていないのには、そうした新浦さんのキャラクター性が強く反映されているのだな、と最後まで読んで納得した次第です。

それと、あとがきに突然、日本聖道教団創始者・岩崎照皇の名前が出てきてびっくりしました。いわく、

巨人軍晩年のころ肩を壊し、藤田監督にご紹介頂いた岩崎照皇先生には心から感謝しています。 

とのこと。プロ野球選手の信仰事情も興味のあるところです。