川崎宗則『逆境を笑え』

 

 

逆境を笑え 野球小僧の壁に立ち向かう方法

逆境を笑え 野球小僧の壁に立ち向かう方法

 

 

・(ある意味)めんどくせぇ人

 ・ネガティブすぎて拒絶がすごい

イチローに始まりイチローで終わる構成の妙

  

川崎宗則選手といえば、「イチロー大好き」「超ポジティブ」「海外でもバカウケのハイテンションキャラ」というあたりが最近の印象でしょうか。あとはプロ野球好きな人なら「鷹のプリンス」時代もありますね。高卒4年目で1軍に定着し、その後も着実な成長を遂げて名実ともに若鷹軍団を率いる“顔”――それもかなり良い部類の――でありました。

こちらの本の構成は、川崎選手の語り口調に近い雰囲気で、メジャー挑戦→マイナーでの苦闘→子ども時代から高校まで→ホークス→日本代表(WBC)と、その時時で彼が感じていたことが綴られています。僕もこれまで「憧れのイチロー選手を追いかけてアメリカに渡り、マイナー落ちしようが明るくプレーを続ける“永遠の野球少年”」という天真爛漫……にはややイチロー選手に対する思い入れが強すぎてちょっとホラー感もありますけども、そういうイメージを抱いておりました。でも今回のこれで一変しました。この人、めんどくせぇ人だな。

川崎選手は全然明るくないし前向きでもない(それは本人も認めるところ)。むしろその真逆のところにいて、その暗さに自分が耐えられないから明るく振舞っていて、そのことに対して妙な開き直りを持っている人なんじゃないか。

3年の夏は鹿児島県大会の3回戦で負けた。みんな、泣いてた。おれも泣いてた。(中略)ずっと一人が好きだったし、今もそれは変わらないけど、あのときはみんなのことが好きになっていた。一人で練習するのが当たり前だったのに、グラウンドに行くと誰かがいて、一緒にやろうってことになる。(中略)それが、もうできない。自分でビックリした。あんなに寂しいとは思わなかったから。結局、別れるのがイヤで、一人でいたんだろうね。それほどいい仲間たちだった。誰かといると、いつか別れなきゃならない。それが切ないし、寂しい。寂しいのは好きじゃない。(P106-107) 

あるいは、この夏が終わり、大学進学を考え始めていた頃、ドラフト候補の可能性が上がった時。

ドラフトの直前に、九州のスポーツ紙が『ホークス隠し球、川﨑」』と1面にでっかく載せたことがあった。さすがに、おっと思った。小学生のときに、ドラフトで指名されたいと思っていたからね。ただ、中学、高校で現実を見て、無理だと思った。(中略)ドラフト前のランクも見たよ。俺の名前はあった。でもCだった。Aのヤツがいっぱいいた。指名されるのはAだ。おれはC。期待しとったら痛い目にあう。そう思った。そういう性格だったんだろうね。期待して、裏切られるのがイヤなんだ。(P112-113)

あるいは、ホークスに入って4年目以降の話をする中で。

やせ我慢する。言い訳しない。強がる。

強がるということは、弱さを見せないこと。弱さを見せないということは、本当は弱いということ。でも強がって、弱さを外に見せない。もちろん、誰かにわかってほしいと思うこともある。誰もわかってくれなければ、辛い時もある。

でも、みんな、わかってくれない。それはよく知ってる。わかってくれる人なんて、百人の内一人いればいい方だと思う。でも、百人に一人くらい、上辺だけでも褒めてくれる人がいたから、強がれた。(中略)

上辺だけでいいんだよ。上辺だけ褒めてくれれば十分。

だって、みんなが心からおれのことを考えて、本心で慰めてくれたりしたら、逆に迷惑だからやめてくれって思うよ。上辺でいい。おれ、人づきあいは上辺でいいと思う。(中略)

人間だもん。理性を持って人付き合いすれば、みんな上辺になって当然。上辺のおべんちゃらなんていらないなんて言ってたら、誰も褒めてくれなくなっちゃう。 (P164-165)

特に3つ目に引用したくだりは衝撃的でした。いや、ほんとに勝手なイメージですが、なんとなく「本音と本音でぶつかり合いたい」「そういう付き合いで人と人は分かり合える部分があると思う」とか言いそうだなーとか思っていたんです。でもこれはこれで合点がいくところもあって、こういう考え方だから「英語わかんないとこたくさんあるけど日本語でもいいからなんか言ってりゃイイ感じになるよ(超要約)」とか言えるわけですね。 

ノリがいいというのは(中村紀洋選手の話ではないです)、ある面においてはコミュニケーションが雑になるということでもある。とりあえずその場を楽しい方向に率先して引っ張って空気を壊さないようにする、そしてそれ以上深いところに話が及ばないようにする。なぜならそこから先に踏み込んでいくことが怖いから。まぁ悪く表現すれば、「とりあえずその場を楽しく過ごせればそれでいい」とも言えてしまうかもしれません。しかし川崎選手の恐れ方――これは恐れているといっていいと思うんです、だって「とりあえずこの場を〜」なんていう考えとは絶対違う。

「誰かといるといつか別れなきゃいけない」

「期待して裏切られるのがイヤ【※注:これは人付き合いの話ではないですが】」

「上辺だけでいい」

この3つ並べたら完全に臆病すぎてコミュニケーションうまく取れなくなってる人の発言ですからね。こんなふうに思うように至るまでに、一体どんな目に遭ってきたのですか?と、あの、爛爛とした虚ろな黒目に問うてみたいと思ってしまいました。というか、川崎選手はどちらかというと本当は“コミュ障”なんじゃないか。その裏返しとして、コミュニケーション過剰な人になっているのではないでしょうか。

そしてそんな川﨑選手に差し込む一条の光が、イチロー選手なわけです。この「光」というのは僕が思ったんじゃないです、本人が書いてます

第7章「WBCイチローの衝撃」は、章題からしてそうですが、イチロー選手の話が続きます。P193から始まる「鬼神」の項は06年大会決勝キューバ戦の話なのですが、ここの筆(喋り)の乗り方がすごい。

準決勝、決勝でのイチローさんの動きは抜群だった。バッティングも、ピタッとはまってる。これじゃ、誰が投げても無理だぞって思った。まさにゾーンに入っていた。

ここでくるのか。

ここで入るのか。

ここで来たのか。

もう、イチローさん、どんだけ強えんだと。百聞は一見に如かず。本当にすごい。大したもんだ

あのとき、俺の目の前に鬼がいた。鬼神がいた。鬼の神がいたね。

鬼がいて、やっつけてくれる。おれはついていくしかない。鬼の後ろをついていく。目の前で、鬼が相手をボコボコにしながら進んでいくんだから。 

脳内再生余裕でした感のある、川崎選手のこの喋りっぷり(笑)。イチロー選手のことになると止まらない感じ。最初にメジャーの挑戦・マイナーでの苦闘のエピソードを持ってきてしまうのは、そこにイチロー選手のトレード事件というキャッチーすぎる出来事も入ってくるとはいえ、もったいなくない?と読み始めは思ったのですが、この最終章まで来ると納得がいきます。川崎選手にとって、初めてイチロー選手と直接対面して一緒に野球をしたことが大きすぎるほどの出来事だったこと。そしてその体験を得て、もっとイチロー選手に近づきたいーーMLBに行ってみたいと思ったこと。イチロー選手にはじまりイチロー選手に終わる構成の妙技に得心がゆきました。

川崎選手のネガティブさは、以前西岡選手の『全力疾走』を読んだ時に西岡選手に対して感じたことと少し似ています。WBC北京五輪代表で一緒で、年齢も近いからそれなりに親しい2人が、実はそうした部分でも共鳴していたのならおもしろいな、と思いました(考えてみれば、2人とも幼少期からの憧れの高校<西岡選手はPL、川崎選手は鹿児島実業>に入れないという経験も共通しているのですよね)。そこいって、安らげる家庭を築くことができた川崎選手(本の中で、妻の協力とその存在に対する感謝がたびたび述べられます)と西岡選手で、自分の中の昏さとの向き合い方が今は変わってきているような感じもします。川崎選手はあとがきで

正直、他の誰かに読んでもらうことを考えて書いたわけじゃない。今まで、誰かと深いことを話す機会があったわけじゃないし、おれの考えていることなんか、おれだけがわかってればいいといつも思っていた。おれの考えなんか人に伝えなくても、世の中にはなんの影響もないと思っていた。 

 と、変わらぬ他者への拒絶っぷりを発揮しています。でも続けて、

いや、もちろんおれの考えは他人様には影響しないよ。でも、おれのなかに溜まっていたものを吐き出してみて、スッキリした。

なんか、いいよ。おれらしくて、いい。

40歳になれば考え方も変わるかもしれない。

でも、ここには32歳の俺がいる。 

と締めるのです。まぁ実際んとこここまで筋金入りの性格だったら40歳になったところであんまり考え方は変わらないんじゃねぇかなとも思いますけれども、自分の本音との向き合い方を川崎選手はもう会得していて、西岡選手はそれがまだなんじゃないかな、という勝手な読みをいたしました。『逆境を笑え』というタイトル、「野球小僧の壁に立ち向かう方法」というサブタイトル、「アメリカ人よりポジティブ!」という帯文から濃厚なポジティブ教の臭いが漂うように感じて半笑いで手にとったですが、中身は真逆で、おもしろうございました。文藝春秋さま及び川崎宗則さまにおかれましては勝手な思い込みでたいへん失礼いたしました。