石井一久『ゆるキャラのすすめ。』

 

ゆるキャラのすすめ。

ゆるキャラのすすめ。

 

・いうほどゆるくない、冷徹な人

・『自律のすすめ。』の間違いではなかろうか

・ほんとによく22年も球界にいられたな(精神的な意味で)

 

「野球よりサッカーが好き」「FAしたのは友達を増やしたかったから」「なんか練習したら上手くなっちゃって」「引退セレモニーって間延びするじゃないですか、だからセグウェイに乗って回ろうと思って」。2013年シーズンでの引退後、吉本興業契約社員として入社したことも話題になったり、その結果なのかバラエティ番組への出演がたいへんに増強された、元ヤクルト・西武・MLB(雑なまとめ)の石井一久さん。現役時代からそのキャラクターは野球ファンの間では知られたところだったことと推察しますが、この一年あまりでこうした「ユルい」キャラクターイメージのさらなる流布がなされているように思われます。そのタイミングでのこのタイトルの書籍ですから、吉本興業は機を見るに敏だなぁ石井さんもさすがイチロー選手に「この人は芸能界の人に近いんですよ」と言われた人物だけのことはあるなぁと思った次第です(ヨシモトブックスからの発売でないのでそこは特に関係ないのかもしれませんが)。

しかし一読してみてとにかく感じるのは、この人は驚くくらい「自分をどう操縦するか」をよく熟知し把握している、という点です。そういう意味においてはまったくゆるくない。というか、だから他人になんと思われてもわりとどうでもいい。まえがきでは、自分で自分がゆるいとは特に思っていなかった、と書いているのですが、読み進めるとこの一文が出てきます。

服装のせいでゆるそうに見える(もっと言ってしまうと、頭が悪そうに見える)なら、周囲にはそう思わせておくほうが、自分がやりやすかったりするものだから。(P028)

正直申し上げてこの括弧書きはかなり踏み込んだことを言っているのではなかろうか。人を形容して「ゆるい」と言うとき、古い言葉でいえばどこか「昼行灯」のようなニュアンスがつきまとう。まぁ日米通算182勝している時点で石井さんが昼行灯なわけはないのですが、思った以上にこの人は冷徹に思われます。それを凝縮して示しているのが第二章。そのタイトルは、「“オトコ気”は要らない。」です。

僕は、「気合い」だの「根性」だのという言葉を並べ立てて、実際は無理や無茶を強いるオトコ気を押し付けてくる人のことを信用しないし、オトコ気至上主義的なムードに搦め捕られて疲弊してしまっている人は、とてもかわいそうだなと思う。(P055)

 

 僕は体育会的な暑苦しさが苦手だ。「気合いだ!」「根性だ!」とまず精神論から入ってくる感じも性に合わないが、“男の友情シアター”みたいな、爽やかなようでウェットな仲間内のやりとりも、どこか付いていけないところがある。具体的には、挨拶をするときに握手をしたり、久しぶりに会った相手とまず抱き合ったり……みたいなヤツだ。(中略)

勢いとか決まり切った挨拶で仲間意識を確認し合うような、一見清々しいけど、案外排他的でベタベタした感じの挨拶なんて、僕は必要ないと感じている。(P060〜062)

「一見清々しいけど、案外排他的でベタベタした感じ」!「一見清々しいけど、案外排他的でベタベタした感じ」!あんたよく22年間もプロ野球界に居られたな!と、感嘆のあまり思わず二度繰り返させていただきました。石井さんが「体育会的な暑苦しさが苦手」なのはまったく意外ではないですが、ここまで言い切る人だとは思っていなかった。要は「それ、ほんとに意味あるの?」ということですよね。 この章もそうなのですが、とにかく本書では一貫して「休むときはきちんと休む、それが長期的なパフォーマンスにつながる」「仕事に対する姿勢は人それぞれ(野心があったほうがうまくいく人もいる)」「二番手、三番手が性に合う人もいる(=人には人の器がある)」ということが繰り返されます。ここから読み取れることはただひとつ、「自分がどういう人間であるかを自分でわかっているべき」、つまるところ「自律こそが最も重要だ」という考えです。これは裏返せば、「だから、他人に自分のやり方を強要するべきではない」ともいえる。これは、黒田博樹投手に関する項で、明確に言葉にされています。

(黒田投手は)毎試合毎試合、「これが最後の登板になっても構わない!」と覚悟を決めてからマウンドに上がるのだそう。改めて書き起こしてみると、僕とはあまりにもスタンスが違うので、ちょっと驚いている。(中略)思うに、黒田投手はギリギリまで自分を追い込まないと力を発揮できないことを自覚しているのだろう。反対に僕は、自分のペースで自由にやらせてもらえないと力を発揮できないタイプだ。結局、どちらも自分のことがよくわかっているという点では同じなのかもしれない。人それぞれ性格が違うのだから、考え方ややり方も違って当然。結果を出せるのであれば、そのためのアプローチは人により千差万別でも何ら問題はないのだ。(P105〜106)

うん、やっぱ全然ゆるくない(黒田投手は黒田投手で別の意味でゆるくなさすぎ)。この人はどこまでも「自分は自分、他人は他人」で、「自分の足で立っている人」が好きなのだと思わされます。本書のなかでわりと字数を割いている自身の妻である木佐彩子さん(元フジ)についても、

僕がいなくても、ウチの奥さんはひとりでしっかり稼いで、生きていける人。(P093)

と記述しています。古い話を蒸し返しますと、かつて熱愛が報じられた(そして野村沙知代女史に横槍を入れられた)神田うのさんも自分で稼いで生きていける人でしょうから、木佐さんとはタイプが違うように見えて、基準はブレてないのでしょう。

家庭といえば、本筋とはあまり関係ないですが、家で食べる料理についてのくだりで、

 プロ野球選手の奥さんの中には、家庭で夫に供する料理に凝りまくって、品数たっぷりの食卓を用意する人もいるようだけど、僕はそれだとかえって疲れてしまう。たまに、ブログとかでそういう料理の写真を見たりすると「もはや家庭料理じゃないな」なんて、ちょっと怯むような気分になる。毎食毎食、それを用意する奥さんも大変だろうけど、毎食毎食、それを平らげなきゃいけないダンナも大変だろうなぁ……。(P149)

どうしても咄嗟に広島カープ前田健太夫妻のことを思い出してしまうのはもう仕方のないことだと、自分で自分を許す気持ちになりました。そうしたスタイルもまた、それはそれでひとつの自律の形なのかもしれません。