永井良和・橋爪紳也『南海ホークスがあったころ』

 

 

 

・非野球ファンでも文化史に興味があれば絶対おもしろい野球文化史の大著

・「この野球本も読みたい」の連続、資料性の高さ

・消えた球団を愛する人々の悲哀とおかしみ

 

自分自身の趣味嗜好からいくと、「こういう野球本が読みたかった」と思わせてくれる、素晴らしき1冊でした。まず何しろ文庫本にして400ページ弱の大書ですので(お値段950円!)、読み応えは抜群です。ただし、付箋を貼りまくってみたものの、その全部を紹介することはとても無理。自分の記憶に強く残ったものを、ここには記しておきます。

日本プロ野球黎明期から存在し、88年に消滅した大阪の球団「南海ホークス」。同球団を幼少時より愛し、その愛にいまだ囚われたままでいる著者2名による、南海ホークスの歴史を辿る書、といって差し支えないと思われますが、サブタイトルにある通り、これは南海ホークスを中心とした戦後日本の文化史研究であり、同時にメディア史でもあります。著者の2人は、建築史家と社会学者。この取り合わせの絶妙なところは、建築史家の方が入ることで、関西圏の都市開発の歴史がきちんと織り込まれているところではないでしょうか。

日本の野球の歴史は日本の産業の歴史である、と言われることがあります。要は、どういった産業が伸びていたのかが、どの業種の企業が球団を所有していたかに反映される、という話です。まさにここ10年ほどで楽天が参入し、DeNAが参入したのが、いまの日本の産業でITが主流になっていることの表れであるように。

それでいうと、この南海ホークスが伸び盛りだった時代というのは、「新聞」と「電鉄」という“メディア”が一大事業になっていた頃であった。言わずもがな読売新聞が所有するジャイアンツ、毎日新聞が所有する毎日オリオンズ、そして南海電鉄のホークス、阪急電鉄ブレーブス阪神電鉄阪神タイガース近畿日本鉄道バファローズ。この本の中では、ホークスの球場の変遷を中心に、4球団の本拠地球場がどのようにつくられ、それを中心にどういった街づくりが行われたかが詳細に語られます(甲子園球場はいささか例外ですが)。多くの人を収容する野球場をどこに設置するかは、鉄道会社にとってはそのまま、どういった人の流れを沿線に作りたいのか、経営方針と関わってくる。都市の発展と野球という文化の発展がどのように重なり合っていたかーーむろんこれだけがこの本における主眼ではないものの、あまりまとまった形で語られることのない分野のように思われ、とても興味深いものでした。

「あまりまとまった形で語られることがない」という話でいうと、そもそもこれほど野球という文化の発展の歴史について、網羅的に綴った本というのは決して多くはないはずです。前述した球場の歴史のみならず、応援スタイルの歴史、グッズの歴史、むろんのこと球団経営の歴史、そして野球本の歴史まで。アカデミックな著に欠かせないものとして、おそろしいほどに充実した注釈がほぼ全ページにわたってつけられており、この注釈に登場する野球本の数がすさまじい。平出隆『ベースボールの詩学』のような有名書はもちろんのこと、『後楽園の25年』『半世紀を迎えた栄光の神宮球場』『輸送奉仕の五十年』といった社史、あるいは当時の南海電鉄社内報まで、渉猟されている資料の量と幅がものすごいのです。およそ「野球」の棚に分類されるであろう書籍としては異色中の異色でしょう。もちろん、いち選手やいち球団に関する書籍でも「すごく取材しているなぁ」と感心するものはたくさんありますが、アカデミズムの世界で生きる方々がガチンコでやるとこれはこれでエゲツねぇな、と思わされる次第です。この1冊を読み通す間に、Amazonウィッシュリストがどんどん膨れ上がってしまいました。

それと、もっとも個人的に目を開かされたのは、先述した「野球の本の歴史」です。なぜ野球選手や指導者の本がビジネス書として上梓されるケースが後を絶たないのか? その源流は、南海ホークスが残したレジェンド・野村克也氏にある、と。引退後の野村氏が出した2冊の本を並べて、それらがいかに従来の野球選手・監督本とはかけ離れた“戦略”を記した本であったかを述べ、「ビジネス書としての野球論」(P256)が氏からはじまったのだ、と述べられるのです。そりゃ「野村克也」の棚ができそうな勢いで著書が出続けるよなぁ、と納得いたしました。