西岡剛『全力疾走』

 

全力疾走

全力疾走

 

 

・西岡さんは寂しがり屋

・西岡さんはちょっとスピ系

・離婚問題はどうなっておるのですか?

 

西岡選手、好きです。高卒でロッテ入って頭角現して主将になって、ファンと揉めたりしつつも成績残して、憧れのMLB挑戦して夢破れて帰ってきて阪神入って、これでまだ30歳になっていないって、野球選手の時間の流れの濃密さを体現してるよなぁと思います。「アメリカ旅行から帰ってきました!」という去年のヒーローインタビュー、ロッテファンからすれば素直に笑えないところもあるだろうと思いますが、これを茶化して冗談めかして言ってしまう西岡選手の中に空いているであろう挫折感で覆われた空虚な穴のことを想像して、ゾクゾクしてしまう。

本は西岡選手のこれまでの野球歴を通じて彼のものの見方・考え方を語ってゆく、ごくごく王道の内容です。この1冊を通じて繰り返し西岡選手が言うのは「必要とされたい」ということ。もともとPL学園に憧れていた少年時代、しかし当のPLからは「要らん(要約)」と言われ大阪桐蔭に入り、本当は横浜ベイスターズに行きたかったけどロッテのスカウトに強く乞われて千葉に行き、ミネソタで「野球を辞めようか」と思ったが阪神からの声がけで入団を決める、と、どの選択に関しても彼は必ず「必要とされていることを嬉しく思った」と言う。実際にはカネの問題だったり条件の良さだったりという別のファクターがあるのでしょうが、とにかく彼は「必要としてくれるところで役に立ちたい」という気持ちが強いのだ、ということがよくわかります。その飢え方といったら、12ページしかない「序章」だけで6回「必要」という言葉が出てくるほどです。なんならこの本のタイトル、『全力疾走』じゃなくて『承認欲求』でも良かったんじゃないでしょうか。

もちろんどんな人だって必要とされることを欲しているし、野球ニュースを読む合間にメール打ち返すだけの簡単なお仕事に従事している僕だって厚かましくそう思っている部分はありますから、当然なんですが、それにしてもこの西岡選手の「必要とされたがり」ぶりはちょっと異様に見えます。だからたぶん西岡選手はすごく寂しがりなんだろうなぁと思うと同時に、やはり彼の中には空虚な穴が空いていて、どれだけファンたちに愛されようともその穴の中に吸い込まれてしまって「足りない」「まだ足りない」と彼を突き動かしているのかもしれない、などと勝手な想像をしてしまうのです。本の中で「僕はスピリチュアルなことが結構、好きで」とも言っていますけど、プレイに関する願掛け的なことを除いてもそういうものに心惹かれるところもまた寂しがりっぽいな、と。

基本的に西岡選手のパブリックイメージは“生意気”“ヤンチャ”キャラだと思います。13年オールスターの藤浪選手VS中田翔選手スローボール事件とか、実に西岡選手らしい(本題関係ないですが、この時西岡選手が手叩いて爆笑してるベンチの映像が即抜かれていて、カメラの人なのかスイッチングの管理してる人なのか、中継してる人の勘所がすごいと思いました)。でもそれとは別に、根っこの部分にものすごく自信のなさがあるんじゃないか。それはもしかしたら、憧れのPLに門前払いされた中学時代の傷が原因なのかもしれないと邪推する次第です。そしてその傷が再びアメリカはミネソタで、開いてしまったのではないか。だから、ロッテに帰ろうと思えば帰れる道筋はあったはずだし、別にロッテはそんなに渋チンではないはずなので極端に年俸が安いこともなかっただろうけど、リーグも違えば地域もファン性も違う阪神に行ったのかもしれません。だってロッテやそのファンは、きっと間違いなく自分を必要として歓迎してくれてしまうから。

しかしこの本、離婚協議中とされる奥様と子どもの話が一切出てこないのですよね。家庭は彼にとって「必要とされている」ことを実感できる場所ではなかったのかな、などと行間に思いを馳せました。一方で、「プライベートとユニフォームを着ているときの顔がぜんぜん違う、それでよく驚かれる」という話の流れで、「そのギャップに女性は魅かれるんやろうか(笑)」って書いてありましたから、まぁ相変わらずおモテになるんでしょう。そういうところも好きです、西岡選手。怪我、早く良くなるといいですね。