中野渡進『球団と喧嘩してクビになった野球選手』

 

 

プロ野球選手のセカンドキャリアの一好例

・98年優勝後、横浜がダメになった理由が垣間見える

・垂れ流される木塚愛は引退で最高潮へ

 

 

現役時代より今のほうがファン多いんじゃないですか?と思ってしまう、NumberWeb連載「野次馬ライトスタンド」でお馴染みの中野渡進さん、「ナックルズ」での連載をまとめた書籍が文庫化です。これもNumber連載も、『4522敗の記憶』の村瀬秀信さんが構成をご担当されてますね。『4522敗の記憶』もそうであったように、シリアスになり過ぎないドラマチックさと“ハズし”の利いた村瀬さんの名調子と、中野渡さんのべらんめえ調は相性がいいんでしょうね。

これもおそらく村瀬さん&編集さんの丁寧な仕事で、脚注に細かくネタが盛り込んであって見落とせません。たとえば中野渡さんが独身である、というくだりの脚注には

 

毒舌が祟っていまだ独身。木塚以上の存在がなかなか現れない。(P23)

 

とあります。しかしほんとにわたりさんは木塚コーチが好きですね。Numberの連載でも必ず「木塚かわいい」「木塚が頑張ってんだからおめぇら(=横浜の若手投手陣)ピリっとしなかったらぶっ殺す」みたいなことを言ってるわたりさんの木塚愛は横浜港の海より深い。

この本の後半、11年シーズン終盤の木塚さんの引退に関する話が出てきます。99年の同期入団であり、年齢こそわたりさんのほうが1つ上ですが即戦力として数年間共に投げまくった2人の間には、誰にもわからない感情や関係があるのだと思う。これは中野渡・木塚コンビに限らず、プロ野球という特殊な世界で苦楽を共にした人間同士の関係性というのは、おそらく普通の世界から見れば異常なくらいに濃密で、下手をすると歪んですら見えるのかもしれません。11年シーズン、球団から戦力外通告とコーチ就任打診を受けた木塚さんは、それから二度目のわたりさんへの電話で

 

「わたりさん、俺、ここで現役を諦めることって、ずるいことじゃないよね……。俺、わたりさんの分まで精いっぱい投げてきたつもりだけど、もうダメみたいだ」(P213)

 

と涙ながらに告げたといいます。そもそも通算11年リリーフのみで490登板というのはすごい数字であり、「ずるい」なんてこた誰も思わない。そしてその数字の影に、球団と揉めた挙句たった4年でプロの世界から放り出された同期を背負う気持ちがあったというこのエピソードは、わたりさんが「好き好き」言ってるだけじゃない、2人の関係の濃さと真剣さみたいなものを見せてくれます。これに対するわたりさんの返答もいい。

 

あいつの言葉を聞いて、俺の中で澱のように沈んでいたムカつきや、プロ野球へのわだかまり。そんなものが、すべてどっかに行っちまって、俺のたった4年間の現役生活が報われたような気がした。そして、その時、初めて木塚に今まで思っていたことを正直に言うことができた。

「木塚、本当によくやったよ。7年も前に終わった俺なんかのために、ありがとう。もういい、もういいんだ」(P213)

 

ドラマ化できますよ、これ。そしてまたこの後に続く、引退登板の日の話もすごくよい。わたりさんは当日、球場に行かなかった。集まっていた当時のチームメイトからは当然「何やってんだよ早く来いよ」とブチキレられたようですが、

 

もう木塚とは前日に十二分に話をしていたから行く必要はなかった。何を話したかは俺と木塚だけのものにしておきたいから書かないが(略)

 

と言うのです。この「俺と木塚だけのものにしておきたい」というのはいつものわたりさんの木塚愛の調子で読み流してもしまえるけど、これは本音の中の本音に見える。そしてまた、ここで文字にして載せたところで、そこで語られた言葉が持つ本当の意味や重さというものは、読者の誰にもわからない、わたりさんと木塚さんにしかわからないものなのだろうと思いました。

あと、いろんな選手・コーチの話が出てくる中で、「最近の若い奴は覇気がねぇ」みたいなことを言ったわたりさんが、「でもこんな奴もいて面白い」と紹介したのが

 

あ〜昔取った杵柄の話をし始めたら、もう、この人、先がねえってジンクスありますよ。いいとこ2年ですよね〜」

 

というロッテ時代の西岡選手の発言というのが笑いました。西岡選手の「クソ生意気だけど面白い、可愛いヤツ」として年上から気に入られる感じは異常。