掛布雅之『若虎よ!』

 

若虎よ! (角川oneテーマ21)

若虎よ! (角川oneテーマ21)

 

・「掛布DC」って「Dageki Coordinator」の略じゃないん…

・垣間見える西岡選手への手厳しさ

阪神タイガースという球団の難しさ

 

以前に書いた中畑清監督『諦めるな!』と同じタイミングで同じレーベルから刊行された今シーズンからの返り咲き“ミスター・タイガース”掛布雅之氏の阪神論でございます。なにげなく書いてみましたけど、「阪神論」って実際ジャンルとして確立されてるところがあるなぁと常々思っておりまして、OBたちが口々に語りたがるという意味ではジャイアンツよりも活発なんじゃないでしょうか。まぁ、あちらさまは紳士の球団ですから、辞めた人間があれこれ言わない(言えない)というのはあるでしょうし、何しろ親会社からして文章と情報で食べてる会社ですからいろいろと統制もございましょうが、それにしても阪神は活発ですよね。その気になれば書店で「阪神」という棚を作れるんじゃないでしょうか(それより先に「野村克也」の棚が出来そうな勢いで出版が重ねられているのも気になっておりますが)。

多くの「阪神」を語る本が出版されるは、とりもなおさずこの手の本はある程度必ず売れる手堅さを持っているからというのが最大の理由でしょうが、それだけ多くの語りしろがあるということでもありましょう。それはそのまま、この球団が伝統と熱狂的支持者と共に抱えている複雑さ、歪さの表れであるように思われます。

その球団において“ミスター”と称号された男がこの掛布氏であるわけですが、14年春キャンプからGM付育成&打撃コーディネーター、なる役職で25年ぶりに戻ってこられました。「打撃コーディネーター」。この安芸キャンプを報じるスポーツ紙などでは主に「掛布DC」と書かれておりましたので、この本を読むまで「Dageki Coordinator」の略なのかと思っていたのですけれども、このたび「Development Coordinator」の略であると知って己の不明を恥じた次第です。

全体を通しては、春キャンプで関わった伊藤隼太選手、上本博紀選手、大和選手、森田一成選手らの見所とその指導法、自身の現役時代の意識、解説者時代に見てきた阪神への感想等が語られており、まぁ正直なところ、現役時代〜解説者のエピソードに関しては2010年に同じく角川書店から刊行されている江川卓氏との共著『巨人-阪神論』と重複する部分も多いんですが、そんなのはよくあることですからね。そこを気にしてたら野球選手の本は読めないです。

さておき、「若虎」と言われると、新井良太選手(30歳独身)はこの括りに入れていいのどうなの、あの人ああ見えて西岡選手よりも1個年上なんだけどなんか永遠の名誉若虎みたいになってない?大丈夫?いつ結婚するの?今オフあたりしといたほうがいいんじゃない?と気になって仕方なくなるというのはプロ野球ファンの総意ではないかと思うのですけれども、これがなんと、

若手だけでなく、新井良太らベテランも、いい意味で変わろうとしている。 

と書かれており、いくら大卒とはいえ30歳はもうベテランの域に入るのか、いやしかし32歳の鳥谷選手のことは同じく大卒だが確かにベテランといわれてなんの違和感もないではないか、それなら新井(弟)選手は一体いつ中堅だったのか……としばし悶々とさせられた次第です。しかし落ち着きのないベテランもいたものですね。

そうなると29歳ですでに現役11年の西岡選手はどういう扱いに?と思うところですが、これがほぼ言及なし。福留孝介選手に打撃フォーム修正のアドバイスをしたという話はあれど、西岡選手の打撃や守備に言及する場面、ましてや会話を交わした、などというくだりは一切ない。むしろ、

メジャーから帰ってきて1年目の選手にリーダーの役割を負わせるのも無理な話だ。何も生え抜きにこだわる必要はないが、リーダーにはそれなりの資格がある。 

と、これは「鳥谷はリーダーになれるか」と題して鳥谷について書いた項の一文ですが、ここでいっている“メジャー帰りの1年目”というのが西岡選手のことを指しているのは確かに誰でもわかることだけれど、あえて名前を出さない書き方をしているところがどことなく、息子のところに嫁いできた嫁の名前を絶対に呼ばないお姑さん的な意図的距離感が見て取れるようでザワザワします。超最高ですね、こういうの。

あの、ホームランが出たときのパフォーマンス「グラティ」に対しても、掛布氏がシーズン中から厳しく言っていたというのは各所で報道されており、西岡選手も『全力疾走』の中で

「相手チームや投手への敬意が足りない」という反対意見があるのも知っている。でも僕たちは決して、相手チームや相手投手に向かってやっているのではない。ただ純粋に、ファンの皆さんが喜んでくれることをやりたいだけ。賛否両論あるだろうが、そこは分かってほしい。 

と語っています。対して掛布氏は

「いいえ、相手チームを侮辱する意図はないのです」と、わざわざ言い訳が必要なくらいのものならばやめた方がいい。 

にべもないとはこのことか、というくらいのバッサリさ加減でアンサーを返しておりました。

掛布氏はリーダーに関して「生え抜きにこだわる必要はないが」と述べていましたが、実のところやはり阪神という球団の伝統を守るべきである、という立場は一貫して打ち出しており、外様から監督をつれてきた野村・星野時代も「勝つため、チームの風を入れ替えるためには必要であった」としながらも、全面的にヨシとしているふうではありません。自分の現役時代だって、ミスター・タイガースの、阪神の四番の看板を背負ったがゆえにいかに苦しかったか、しかし己はその名に恥じない成績を残すべくやってきたのだ、と語っていらっしゃるわけです(じゃあ引退した後も“掛布”の名前を汚すようなことをしちゃいかんのじゃないですかとも思いますけども)。かつて新井貴浩(兄)選手も『阪神の四番』なる本を出されてましたが、やはり巨人軍の四番ともまた違った重みがあるのでしょう。

しかしとにかくこうしたOBの方々の「阪神論」を読むにつけ、阪神タイガースの監督ってマジで大変な職業だなぁ、と思うわけです。これだけリビングレジェンドなOBたちが好きに「俺の思う阪神」を語り、実際の試合になれば解説でダメ出しもされ、いまなんかさらにGMもいるわけですから、この環境で「俺の思う阪神」を監督がつくり上げるのは並大抵のことじゃない。そう考えると、和田豊監督がなぜかいつもちょっと悲しそうな顔に見えるわけが、お察しできるような気がいたしました。