「Number」858号(2014年8月21日号)

 

Number(ナンバー)858号 甲子園熱球白書「真夏の絆」

Number(ナンバー)858号 甲子園熱球白書「真夏の絆」

 

・菅野投手は父親も原貢さんの教え子だったのか!

馬淵史郎高校野球界のデストロイヤーかタイガージェットシンか」

・蔦監督(池田高校)とご夫人の顔が似すぎ

 

毎夏好例「Number」の高校野球特集号です。サイドバーに書いております通り何しろ自分はにわか者ですし、基本的にプロ野球のほうに注目してる人間ですので、高校野球は正直いってさほど詳しくありません。ですので、新鮮味を持って読みました。

全体の感想でいうと、冒頭の桑田真澄さんと松坂大輔選手の対談からかなり読みどころがある、良い特集号です。共に夏を制覇し、高校野球の歴史に深く足跡を残した2人ですから、おもしろくないはずがないのですが、それにしても

桑田 大輔は、甲子園で神様が降りてきたなとか、神懸かってるなと感じたことはない? 

という質問を皮切りにしばらく「野球の神様」の話が続き、

桑田 ちなみに、大輔にとっての野球の神様って、男と女、どっち?(笑)

(中略)

桑田 試合中、マウンドの僕のところへ神様がスポーンと降りてきて、『次はカーブ行きなさい』って。

(中略)

松坂 そういえば僕も、3回戦の星稜戦だったかな。マウンドの上でブツブツ言ってたらしいんです。その場面、ワンアウト二、三塁で5、6番を連続三振に打ちとったんですけど、あのときは『アウトコースの低めまっすぐ』とか、ブツブツ言ってたのかもしれません。今思えば、もしかしたら神様が降りてきたのかなって感覚はありますね。

桑田 神様、ちゃんと降りてきてるじゃない。

松坂 でも、会話はしてません(笑)。 

グラウンドでアミュレットを握りしめるPL学園出身者であり、卒業後も熱心な信仰者でもあるとされる桑田さんが「神様」についてちょっとしつこいくらい松坂選手に聞き続けるというのは、なかなか興味深いものがあります。対する松坂選手の、桑田さんの熱心さに対する半笑い感も対照的で、実にいいです。

そのあとには現横浜DeNAベイスターズ後藤武敏選手をはじめとする松坂選手の横浜高校時代の同級生たちのルポや、07年夏の決勝で佐賀北高校に敗れた広陵高校のバッテリー・野村祐輔選手(広島)と小林誠司選手(巨人)のバッテリー秘話、大谷翔平選手(日ハム)の夏の記憶ルポなどが並びます。そして誌面中程で、「追悼証言録 原貢の教えを継ぐ者たち。」という企画が登場します(執筆者は「週刊文春」の連載「野球の言葉学」をやってらっしゃる鷲田康さんでした)。

今年の5月に亡くなった東海大相模高・東海大学の野球部監督であり、アマチュア球界のドンであり、巨人・原辰徳監督の実父である原貢氏の追悼企画なわけですけれども、原監督をはじめ彼の薫陶を受けた人物たちが登場します。そのなかで

「あの子は最初、内野手をやりたがっていた。でもお前さんはピッチャーしか出来ないから、ピッチャーに専念しなさいと言ったんだ」

 巨人の投手で実孫の菅野智之に関して、貢がこんな思い出話をしていたことがある。

「とにかく身体的な特長や、能力を見抜く力は凄かったです」

 こう語るのは菅野の父で、自身も東海大相模OBの隆志だ。 

 え!菅野選手の父親も東海大相模OBなの!と、それを知らなかったのでたいへん驚きました。お父上は高校時代は不動のレギュラーというわけではなかったようですが(検索情報による)、何か見込まれて娘さんと結婚することと相成ったのでしょうか。恋愛結婚なのかどうかもわかりませんが、血が濃いなぁ、と思います。

それとその後に続くページの、智弁和歌山高嶋仁監督×明徳義塾馬淵史郎監督という、甲子園の名将たちによる対談も、わずか2ページと短いながら、楽しく読みました。92年星稜高校戦の松井秀喜選手5打席連続敬遠によって一躍(悪)名を馳せたとき、馬淵監督がまだ監督2年目だったという事実に驚きます。

高嶋 (略)思えば甲子園で初めて当たった2002年夏の決勝の後、全日本高校選抜を連れて一緒にアメリカへ行きましたね。あの時からやなあ、本当に親しくなったのは。

馬淵 「アメリカでの過ごし方はな、馬淵、こうやぞ」と教えていただきました。

高嶋 そんなこと言うたことないで(笑)。

馬淵 しかし私のような「高校野球界のデストロイヤーかタイガージェットシンか」と言われている人間と親しくしていただいて。 

個人的な趣味ですが、西日本の喋り方をするおじいさんたちの会話というのが好きですし、親しさの下に探り合いが透けて見えるような老練な軽妙さが感ぜられるのがたいへん素晴らしい。あえて欲を言えば、これまでの経験や当時の思い出話が中心になっておりましたから、今の高校野球界をどう見ているのかというような、ベテラン老監督ならではの俯瞰的な話ももう少し読みたかったな、と思いました。それはもしかしたら現場に立たれている方がやることではないし、当事者たちはそれどころではない、ということなのかもしれませんが、やはり現場にいらっしゃる方だからこそ見えるものというのもあるのではないかなぁ、という外野の勝手な期待でございます。

この対談企画のあとに来る「巡礼ノンフィクション やまびこ打線の母をたずねて。」は、80年前後に甲子園を「やまびこ打線」でわかせた徳島・池田高校の名将・蔦文也監督の奥様にスポットを当てた企画。内容もさることながら、文章に添えられた奥様・蔦キミ子さんと蔦監督の写真の顔がびっくりするくらい似てるんです。キャプションも「91歳になったキミ子さん。意志の強そうな口元が往時の蔦監督を偲ばせる」となっています。このフレーズは普通、実子などの血縁者に対して使うもののはず。夫婦二人三脚でやってきた、キミ子さんなくして蔦監督なし、という記事の趣旨を、その「顔」がすでに保証しているように見えるのでした。