清原和博『男道』

 

男道 (幻冬舎文庫)

男道 (幻冬舎文庫)

 

 

 ・ここにいるのは綺麗な清原

・桑田慕情

・溢れ出る文学臭

 

昨今SAY YESしたあの方の事件の余波によって、各所で何かと話題になっている清原さん。なんぞこの流れの中で彼の選んだ現在の道を読み解く手がかりになる話はなかろうかと読んでみたこの本は、僕のようなゲスい人間の期待には応えてくれませんでした。かわりにそこにあったのは、“綺麗な清原”の姿でした。それはあまりにも文学的で、さすがは見城徹さん率いる幻冬舎の仕事である、と感嘆させられた次第です。

清原さんの野球人生については今更ここで何か説明する必要もないでしょうから省きますし、清原さんは現役時代から引退後まで、かなりメディア露出が多いタイプの野球人ですから、彼自身の言葉でそうした苦難多き道のりについて語られることも多かった。あの番長キャラ自体がかなりの部分でメディアによって作られたものであり、本当は小心者である本人が、そのパブリックイメージとの間で懊悩していたであろうことも、野球ファンの間ではそれなりに共有された前提となっているような気がします(今回の騒動がガチだったら、さすがにキャラ云々とか言ってられなくなるでしょうけども)。

この本の中でもっとも水際立った描写がなされるのは、そうした彼の懊悩や野球生活における苦労よりも、桑田真澄さんに関するパートでした。PL学園で過ごした高校時代を語る第二章「富田林」、ドラフト事件から西武時代を描く第三章「所沢」、巨人軍入りという11年越しの夢を叶えた第四章「東京」、野球人生に幕を下ろす第五章「大阪」、そのすべてに必ず登場する盟友への思いを吐露する言葉の数々は、この本の版元は幻冬舎幻冬舎でもルチル文庫だったかしらん、と思わされるほどの慕情を湛えています。野球を始めた少年時代を振り返る第一章「岸和田」は、第二章での高校入学に引き継ぐ形で、こんな言葉で締めくくられ、そして2人のドラマは始まるのでした。

その大切な時期に、僕は一人の男と出会うことになる。野球の神様がもしいるとするなら、その出会いこそ神が僕に与えてくれた最高の贈り物だった。そしてそれはまた、僕に背負わされた最大の試練でもあった。

「一人の男」とはもちろん桑田さんのこと。以降、桑田さんに関する描写の数々がどれだけ叙情的で素晴らしいか、ちょっと長くなりますが引用していきましょう。

あれだけ練習に夢中になれたのは、やはり桑田がいたからだった。頭をちょっと傾けた独特のフォームで、黙々と走る桑田の華奢な背中を見ていると、どんなに練習してもまだ足りないという気持ちになったものだ。(第二章「富田林」) 

初めて出会った同い年の少年に、強く惹きつけられる15歳の春。この描写に「華奢な背中」という形容を入れてくるあたりが心憎い。

こんなことを文字にしたくはない。僕はあの時、桑田を憎んでいた。そして、僕に桑田を憎ませることになった、王監督を憎んだ。(第三章「所沢」) 

騒がれ、過剰に持ち上げられる自分たちを守るように、身を寄せ合った高校時代。その温かな記憶さえも引き裂かれ、男は世界を憎むようになる。

卒業式で桑田と会った時、僕は桑田と目を合わせなかった。桑田が何かを言いたそうにしているのは気付いていたけれど、何も言わせるものかと思った。(中略)卒業証書を片手に、握手させられた。桑田の手の温かさには、何も変わりがなかった。胸が痛かった。僕はまた目をそらした。(同) 

友を、そうさせた世界をいくら憎もうと、変わらないものもそこにはある。だが彼はまだ、その事実を受け入れられない。

桑田はルーキーの年に、2勝しかあげていなかった。ドラフトの問題もあったから、そのとき彼がどんな重圧を受けていたことか。わずか18歳にして、こんな場所で桑田は戦っていたのだと思った。(同) 

自らを裏切り傷つけた代償を負わされる友のことを思う。離れているからこそ、少しずつまた彼のことを考えられるようになる。

桑田に対する当時の感情を、一言で説明するのは難しい。あのドラフト会議の日から、昔のように話せなくなったのは事実だ。(中略)冗談を言い合って笑い合ったことだってある。ただ、あのドラフトのことにだけは、お互い絶対に触れようとはしなかった。 

桑田が僕に向けて発している感情に気づかなかったわけではない。僕に直接言うことはなかったが、桑田はいつも自分の気持は高校時代と変わっていないのだと告げたがっているようだった。

試合で向かい合った時は、いつも悲しいくらい男らしい真っ向勝負を挑んできた。キャッチャーのサインに首を振る。何度も、何度も首を振る。なぜ首を振っているのかは、誰に聞かなくても僕がいちばん知っていた。(中略)そして、いつも渾身の球を投げ込んできた。僕がその球を何度打ち返しても、同じだった。俺を信じなくてもいい。この球だけは俺の真実なのだと叫んでいた。

今さら蒸し返しても何がどう変わるわけでもない。(中略)桑田がどんなことを話そうと、僕はそれを受け入れるつもりだった。けれど、桑田はそのことについては触れようとしなかった。そして桑田から話が出ない限り、僕から聞くべきことは何もなかった。あのドラフトの話は、靴の中に入った小さな石のように、僕たちの間に挟まっていた。 (中略)僕がジャイアンツに入団して、離れていた桑田との距離は縮まった。けれど、その小石のせいで、2人の距離が昔みたいにゼロになることはなかった。(中略)ただ、試合で戦っている時だけは違っていた。桑田が投げ僕が打っている間だけは、完全にPL時代の桑田と清原だった。あいつがマウンドで何を考えているかは、牽制を読むのと同じように100パーセントわかった。(第四章「東京」)

失われた、あるいは壊されたふたりの絆。どちらも決して口の上手くない少年たちは、謝罪も弁解も糾弾もできないまま傷つき続けて大人になり、少しずつ親しさを取り戻していく。だがそれはあくまで表面的にであって、結局のところいくつになっても語るべき言葉を見出だせない青年たちは、その思いをボールに、グラウンドに託す。そこでは俺たちは、嘘がつけないから。そうしているときは、胸を合わせて歓喜の涙を流したあの夏に、戻ることができる。

そして共に同じ場所で戦う数年を過ごし、男はまた憧れの存在に傷つけられてその場所を去っていく。ボロボロの心身を抱え、それでも再び戦いの場に戻ろうとしていた男のもとに届いたのは、片割れがこの世界から身を引くという報せだった。片割れもまた満身創痍で、遠く離れた地で戦っていた。それが彼を奮い立たせてもいた。その男が、いなくなるという。

桑田が引退を発表したのは、2008年3月26日だった。僕は翌朝のニュースで知った。突然の引退だった。体中から力が抜けた。心に穴があいた。本当に何もする気がなくなって、欠かさず続けていたリハビリと練習に3日間も行けなかった。(第五章「大阪」) 

奪われた絆、負わされた傷跡、抱えた不信……大人になっても、大人になったからこそ分かり合う機会は失われ、ただ18.44mを挟んだ距離で、あるいは背中で言葉を叩きつけあってきた彼らを、つなげてきたのは野球だった。それすらもなくなるとき、長い長い確執の時代は幕を下ろす。

仲が良いだけが、友達ではない。お互いに傷つけ合うこともあったけれど、桑田の存在はいつも心を鼓舞してくれた。リハビリの辛さに耐えかねたとき、僕はよく桑田のことを思い出した。あいつも、この孤独に耐えているのだと思うだけで、折れそうになっていた心に熱い血が通うのを感じた。たとえ何があろうとも、桑田は何者にも代えることのできない、僕の終生の友なのだ。

ドラフトで遠く離れてしまった友との間は、長い時間をかけて少しずつ少しずつ縮まっていった。2人ともジャイアンツのユニフォームを脱いで、ようやく高校時代のように自然に話せるようになった。そういう意味では、本当に長い23年間だった。(同)

 ……と、この引用に挟んだテキスト部分だけつなげて読むと、まるでBL小説のようではないでしょうか。それも、木原音瀬さん作品のような、重たいヤツ。

ほかのさまざまなエピソードの何よりも、桑田さんとの関係に関する描写が克明で際立っているのは、おそらく清原さんの野球人生の中でその部分が最も文学的であるからだろう、と思います。

この本は、まるで小説のようです。おそらく作り手側も、そのつもりで作っているのではないでしょうか。だから、この桑田さんとの物語はとても美しいけれど、それに素直に心打たれるのは危険でもある。ここには例えば、数年後に薬物報道疑惑で取り沙汰されることになるような清原さんはいない。同時に、野球賭博疑惑をかけられたり、投げる不動産王と呼ばれた桑田さんもいない。そうしたダーティーな側面を含んでいるのが、“KKコンビ”という絆に振り回された彼らの物語なのではなかったか。とはいえ、そうとわかっていても惹きつけられるだけの魅力が、この本が描いたストーリーにはあるのでした。