橋本清『7 (SEVEN) 西岡剛 OFFICIAL BOOK』

 

7 (SEVEN) 西岡剛 OFFICIAL BOOK

7 (SEVEN) 西岡剛 OFFICIAL BOOK

 

 ・なんで橋本清さん?

・素顔のTSUYOSHI撮りおろし

・たかだか6年前とは思えない“昔”感

 

どんだけ西岡選手好きなんだって話ですけども、ほんと好きですね、我ながら。あんまり西岡西岡言っているせいか、お友達がこの本をくれました。藤浪選手の『情熱大陸』で、実家の本棚に置いてあるのが一部で話題になっていて、気になっていたのでたいへんありがたかったです(しかし何度読んでもフモフモ先生のこのエントリはおもしろくて素晴らしい)。

とにかくまず思うのは、なんで構成が元巨人・橋本清さんなのかな?というところです。最近は日サロおじさんとして『有吉反省会』などメディア出演を重ねられていますけども、解説者のほかにスポーツライターとしての活動もされているようなので、そのお仕事の一環なんでしょう。しかし『全力疾走』ほど西岡選手本人の内心の葛藤が吐露されるわけでもなく、プロ野球OBならではの分析が展開されるわけでもなく(むろん無いわけではないですが)、さほど良い効果を生んでいるようには思えませんでした。ただおもしろかったのは、橋本さんが「清原和博さんと西岡に共通する何かを感じた」と書いていたところです。橋本さんはPL学園清原和博さんと寮の同室だった人物であり、KKコンビと共に野球をやった人。一方、西岡選手はPL学園に憧れ、しかし入学の夢はかなわず、「打倒PL」を胸に大阪桐蔭高校に入った人です。その「打倒PL」を1年生の秋季大会で成し遂げた西岡選手の涙と、巨人入りを熱望しながら盟友・桑田選手と巨人に裏切られ西武ライオンズに入団した清原さんの日本シリーズで巨人に打ち勝って優勝を決めた涙とを重ねて、

どう表現していいのかわからないが、ふたりに共通する何かを感じたのである。

と書いていらっしゃいます。仮にもライターを名乗るなら「どう表現していいのかわからない」ものをどうにか表現するのが仕事でしょうよ、とも思うものの、 この見立ては少し気になりました。橋本さんはこの本の中で再三「チャラ男に見えながらその実親孝行であり、強い意志を持った若者」として西岡選手のことを描きます。清原さんといえば最近ゴニョゴニョなことを報じられ、SAY YESされたあの人との接点などをもって橋本さんの顔の色くらいクロだろうと週刊誌などでは書きたてられておりますが、彼もまた「誤解されやすい人物」としてその素顔が語られることも多い(例の件に関しても誤解であってほしいものですが)。選手としてのタイプはまったく異なりますし、性格も全然違うとは思いますが、やはり華のある選手というのは根っこの部分で共通する精神性を持っているものなのかな、と思わされました。

さておきこの本で一番の見所はやっぱり、西岡選手の撮りおろし写真がけっこうな頻度で挟まれる点でしょう。幼少期〜高校の写真をカラーにするなら撮りおろし私服カットのほうをカラーにするべきだったんじゃないかという気もしますが(折の都合でしょうけども)、物や風景にピントを合わせて人物の顔をぼかす撮り方などに、どことなく時代を感じます。巻頭から、MacBookを操るTSUYOSHI、街路に佇むTSUYOSHI、愛車(?)を運転するTSUYOSHI……と続いて、最後にサロンで髪をセットしてもらうTSUYOSHI。ちなみにお店はACQUA。懐かしのカリスマ美容師ブーム先導役ですね。やはりカリスマはカリスマを好むということでしょうか。個人的には、巻頭カラー見開きで掲載されているハンドルを握るTSUYOSHIのカットが好きでした。意志の強さを感じさせる鋭い眼差し、引き結んだ唇、バストアップでもわかる鍛えあげられた肩と胸筋、きらめくハンドルにかけられた片手、窓から入る陽光に輝く薄い腕毛、はねる襟足……すげぇ格好つけてんな、と思わされるところも含めて、23歳のTSUYOSHIを最大限に写し取った、美しい1枚だと思います。

本書刊行は08年ですから、今から6年前。西岡選手は千葉ロッテマリーンズの若き主力として活躍していた時期です。この後の6年で西岡選手はロッテのキャプテンに就任し、外野応援団と戦い、メジャーに挑戦し、思うような結果を出せずに日本球界に戻り阪神タイガースに入団と、順風満帆とはいえない時も含まれています。6年といえば僕のような一般人にとっては長いようで短い時間であり、6年前と今の自分を比べてもそんなに大きく変わった点はないというような微妙な長さの年月でありますが、その顔付きも含め、この本の中にいる西岡選手は随分と昔の西岡選手であるなぁと感じます。苦難が人を成長させるとは手垢のついた言い回しですが、歳月の重みに思いを馳せさせられました。西岡選手の無事の戦線復帰を心待ちにしております。

掛布雅之『若虎よ!』

 

若虎よ! (角川oneテーマ21)

若虎よ! (角川oneテーマ21)

 

・「掛布DC」って「Dageki Coordinator」の略じゃないん…

・垣間見える西岡選手への手厳しさ

阪神タイガースという球団の難しさ

 

以前に書いた中畑清監督『諦めるな!』と同じタイミングで同じレーベルから刊行された今シーズンからの返り咲き“ミスター・タイガース”掛布雅之氏の阪神論でございます。なにげなく書いてみましたけど、「阪神論」って実際ジャンルとして確立されてるところがあるなぁと常々思っておりまして、OBたちが口々に語りたがるという意味ではジャイアンツよりも活発なんじゃないでしょうか。まぁ、あちらさまは紳士の球団ですから、辞めた人間があれこれ言わない(言えない)というのはあるでしょうし、何しろ親会社からして文章と情報で食べてる会社ですからいろいろと統制もございましょうが、それにしても阪神は活発ですよね。その気になれば書店で「阪神」という棚を作れるんじゃないでしょうか(それより先に「野村克也」の棚が出来そうな勢いで出版が重ねられているのも気になっておりますが)。

多くの「阪神」を語る本が出版されるは、とりもなおさずこの手の本はある程度必ず売れる手堅さを持っているからというのが最大の理由でしょうが、それだけ多くの語りしろがあるということでもありましょう。それはそのまま、この球団が伝統と熱狂的支持者と共に抱えている複雑さ、歪さの表れであるように思われます。

その球団において“ミスター”と称号された男がこの掛布氏であるわけですが、14年春キャンプからGM付育成&打撃コーディネーター、なる役職で25年ぶりに戻ってこられました。「打撃コーディネーター」。この安芸キャンプを報じるスポーツ紙などでは主に「掛布DC」と書かれておりましたので、この本を読むまで「Dageki Coordinator」の略なのかと思っていたのですけれども、このたび「Development Coordinator」の略であると知って己の不明を恥じた次第です。

全体を通しては、春キャンプで関わった伊藤隼太選手、上本博紀選手、大和選手、森田一成選手らの見所とその指導法、自身の現役時代の意識、解説者時代に見てきた阪神への感想等が語られており、まぁ正直なところ、現役時代〜解説者のエピソードに関しては2010年に同じく角川書店から刊行されている江川卓氏との共著『巨人-阪神論』と重複する部分も多いんですが、そんなのはよくあることですからね。そこを気にしてたら野球選手の本は読めないです。

さておき、「若虎」と言われると、新井良太選手(30歳独身)はこの括りに入れていいのどうなの、あの人ああ見えて西岡選手よりも1個年上なんだけどなんか永遠の名誉若虎みたいになってない?大丈夫?いつ結婚するの?今オフあたりしといたほうがいいんじゃない?と気になって仕方なくなるというのはプロ野球ファンの総意ではないかと思うのですけれども、これがなんと、

若手だけでなく、新井良太らベテランも、いい意味で変わろうとしている。 

と書かれており、いくら大卒とはいえ30歳はもうベテランの域に入るのか、いやしかし32歳の鳥谷選手のことは同じく大卒だが確かにベテランといわれてなんの違和感もないではないか、それなら新井(弟)選手は一体いつ中堅だったのか……としばし悶々とさせられた次第です。しかし落ち着きのないベテランもいたものですね。

そうなると29歳ですでに現役11年の西岡選手はどういう扱いに?と思うところですが、これがほぼ言及なし。福留孝介選手に打撃フォーム修正のアドバイスをしたという話はあれど、西岡選手の打撃や守備に言及する場面、ましてや会話を交わした、などというくだりは一切ない。むしろ、

メジャーから帰ってきて1年目の選手にリーダーの役割を負わせるのも無理な話だ。何も生え抜きにこだわる必要はないが、リーダーにはそれなりの資格がある。 

と、これは「鳥谷はリーダーになれるか」と題して鳥谷について書いた項の一文ですが、ここでいっている“メジャー帰りの1年目”というのが西岡選手のことを指しているのは確かに誰でもわかることだけれど、あえて名前を出さない書き方をしているところがどことなく、息子のところに嫁いできた嫁の名前を絶対に呼ばないお姑さん的な意図的距離感が見て取れるようでザワザワします。超最高ですね、こういうの。

あの、ホームランが出たときのパフォーマンス「グラティ」に対しても、掛布氏がシーズン中から厳しく言っていたというのは各所で報道されており、西岡選手も『全力疾走』の中で

「相手チームや投手への敬意が足りない」という反対意見があるのも知っている。でも僕たちは決して、相手チームや相手投手に向かってやっているのではない。ただ純粋に、ファンの皆さんが喜んでくれることをやりたいだけ。賛否両論あるだろうが、そこは分かってほしい。 

と語っています。対して掛布氏は

「いいえ、相手チームを侮辱する意図はないのです」と、わざわざ言い訳が必要なくらいのものならばやめた方がいい。 

にべもないとはこのことか、というくらいのバッサリさ加減でアンサーを返しておりました。

掛布氏はリーダーに関して「生え抜きにこだわる必要はないが」と述べていましたが、実のところやはり阪神という球団の伝統を守るべきである、という立場は一貫して打ち出しており、外様から監督をつれてきた野村・星野時代も「勝つため、チームの風を入れ替えるためには必要であった」としながらも、全面的にヨシとしているふうではありません。自分の現役時代だって、ミスター・タイガースの、阪神の四番の看板を背負ったがゆえにいかに苦しかったか、しかし己はその名に恥じない成績を残すべくやってきたのだ、と語っていらっしゃるわけです(じゃあ引退した後も“掛布”の名前を汚すようなことをしちゃいかんのじゃないですかとも思いますけども)。かつて新井貴浩(兄)選手も『阪神の四番』なる本を出されてましたが、やはり巨人軍の四番ともまた違った重みがあるのでしょう。

しかしとにかくこうしたOBの方々の「阪神論」を読むにつけ、阪神タイガースの監督ってマジで大変な職業だなぁ、と思うわけです。これだけリビングレジェンドなOBたちが好きに「俺の思う阪神」を語り、実際の試合になれば解説でダメ出しもされ、いまなんかさらにGMもいるわけですから、この環境で「俺の思う阪神」を監督がつくり上げるのは並大抵のことじゃない。そう考えると、和田豊監督がなぜかいつもちょっと悲しそうな顔に見えるわけが、お察しできるような気がいたしました。

佐藤義則『絶対エース育成論〜なぜ田中将大は24連勝できたのか?』

 

・各球団にひとり佐藤コーチが欲しい

・精神論と技術論のバランス

・ピッチャー時代の糸井選手の話が読めるのは貴重

 

『なぜ田中将大は〜』というサブタイトルに加えてこの表紙写真ですから、田中投手の育成エピソード+昨年の楽天イーグルス優勝の舞台裏話一色かと思いきや、そうでもなかったです。日本ハム時代にダルビッシュ投手を育てた人物でもあるので、そのあたりの話はもちろんのこと、則本昂大投手や美馬学投手、釜田佳直投手のことなど、ひろく楽天投手陣の育成エピソードが語られているのも興味深いですが。

読んでいると、選手の固有名詞をあげての課題や指導方法の説明もさることながら、そもそも「育成論」と銘打つだけあって、佐藤コーチの考える「投手に必要なものとは何か」がかなり事細かに解説されており、それが野球未経験者でも具体的にイメージできるほどでおもしろい。マウンドに立った時の足の置き方、クイック時の足捌き、タオルを使ったシャドーピッチングのやり方、遠投の重要性、投手にとって必要なトレーニングとは何か等々……時には自身の写真入りで説明が行われます。こんなに公開してしまっていいのかな?とも思いますが、しかしこの本の中で繰り返されるように、自身44歳まで現役を続け、シーズン21勝という成績を残し、一軍コーチを務めた球団はすべて優勝を経験という確実に有能な、あまりに有能なコーチをもってしても育てられなかった投手はいるわけで、ピッチングというものの難しさを思わされます。この本の中で少しだけ触れられているように、一場靖弘投手などがまさにそうだったのでしょう。彼に関して佐藤コーチは、「マウンドの傾斜に負けた男」と形容しています。平らな場所ではすごい球を投げるのに、マウンドに立つとダメになる、と。一場投手とて昨日や今日野球を始めた人ではないのですから、ずっとマウンドに立ち続けてきたはずですが、それでも“プロのマウンド”に立つとからっきしだ、と。すごい球を持ちながらノミの心臓ゆえに活躍できず、プロ野球の舞台から去っていく投手というのは必ずどこの球団にもいるもので、そればかりはいかな名伯楽といえど改善することは難しいのでありましょう。

なお、佐藤コーチの話のおもしろさは、先述したような細かな技術論と共に、「ランニングの後、先輩のグラブを持ってくるくらいの気が利かないヤツはダメだ」「自分のジョークに反応できない、つまらない若い奴が多い」「つまみ食いしていたダルビッシュにブチキレ」というような古風さ(つまみ食いは古風とかそういう話ではないですが)が同居しており、この両輪で選手を育てていくのが基本線になっている点のように思います。そこへいって、オリックスで一緒だったはずの井川慶投手の話があまり出てこないのは、あの“変人”ぶりではこの古風さとはソリが合わなかっただろうな……と推察させられます。

他方、“変人”というより“超人”が最近の二つ名になりつつある現オリックス糸井嘉男選手の話が、個人的にはとてもおもしろかったです。糸井選手が実は日本ハム入団時は投手だったというのはわりとよく知られた話で、当時のエピソードなどは先般のWBCで注目を浴びた際に各種週刊誌でも取り上げられていました。佐藤コーチはその頃の指導者です。抜群の身体能力と頑丈な肉体を併せ持ち、「センターとレフト、それぞれ20本ずつ走れと言ったら、平気な顔して走り終えてくる」「要求したら何本でも走ってくる」糸井選手に対しては、投手の走り込みの重要性を説く佐藤コーチをもってしても呆れていた様がうかがえます。糸井選手が佐藤コーチに言った「ずっと付きっきりでいてください」という発言、そう言ったときの糸井選手の表情が容易に思い浮かびました(笑)。結局糸井選手は投手としてはものにならなかった。それに関して佐藤コーチは、「いいときは147〜8キロのすごいボールを投げるのだが、緊張感が持続しない」「今日やったことを1日寝たら忘れるタイプだったから(中略)あれではピッチャーは難しい」と総括しています。そして、二軍戦で先発した糸井選手が、バッティング練習もしていないのに1打席目でツーベースヒットを打ったことを挙げて、「なんでもそうだけど、結局はセンスがものを言う」と締める。この言葉からは、どれだけコーチが綿密に指導し、受ける側がそれに守り従おうとしたところで、突出した選手になれるかどうかは結局最初から持っている素材がモノを言うという、ある種ドライな佐藤コーチの考えが透けて見える気がします。それはむろん、自身が現役選手としてかなり長く投げ、コーチとして多くの若手を見てきたからこそ知っている、プロの世界のどうにもならなさに基づいているのでしょう。

ただしこの言葉、実はさらにもう一行、「(略)センスが抜群にあれば、少々明後日の方向を向いていたってプロで生きて行けるんだよな」と続きます。糸井選手に関して“少々明後日の方向を向いている”という形容、さすが名コーチ、ご慧眼です。

中畑清『諦めるな!』

 

諦めるな!  (角川oneテーマ21)

諦めるな! (角川oneテーマ21)

 

・古風な男キヨシ

・石川雄洋キャプテンに背負わすものは予想より重い

・山口&高崎コンビは……!?

 

今シーズン初の連勝(4連勝!)を決めた横浜DeNAベイスターズ中畑清監督の「野球人論」という感じでしょうか。現役時代は巨人で「絶好調男」と呼ばれ、明るいキャラクターは現在もそのまま継続中な中畑監督、意外というべきか、相当古風なんだなー!というのがよくわかりました。いわく「高校球児は五厘刈りであるべき」、「プロ野球選手も奇抜な髪型やヒゲはいかがなものか(信念があればOK:例:日ハム時代の小笠原道大選手の髭は◯、ベイスターズ三浦大輔投手のリーゼントも◎)」、「スポーツ紙の一面は芸能ニュースでなくスポーツ、それも野球が飾るべき」云々。奇抜な髪型やヒゲがNGというのはやはり“紳士たる”巨人軍出身だからでしょうか。

気になるベイスターズ監督就任後の話がもちろんメインにつき、直後から現在までの中心選手に対するコメントがちらほら書かれています。特にキャプテン・石川雄洋選手については何度も言及があり、彼に期待するところの大きさが感じられようというものです。正直、誰もが認めるリーダーシップがあるようにも見えず、圧倒的な成績を持つわけでもない石川選手に対する中畑監督の期待値ってどういうものなんだろうな?と思っていた部分があるのですが、この本とDVD『ダグアウトの向こう』を観ると、中畑監督がこの若い選手と心中したい気持ちが少し見える気がします。他の選手に関してはせいぜい1項(見開き2ページ程度)がいいところですが、石川選手に関しては第2章「人をつくる、ということ」の冒頭から3項費やして彼を育ててきた経過を記しています。この本の中で繰り返し語られる「俺には技術もなければ自信もない、しかもこのチームはもともとガタガタだった、だからとにかく人を育てるしかない」という彼の監督論の試金石であり、ひとつの成果なのでしょう。

「他の選手に関しては1項程度」と先述しましたが、個別のケースとして取り上げられているのは中村紀洋選手、荒波翔選手、梶谷隆幸選手、加賀美希昇投手です。「え、加賀美さん!?」と思ってしまってすみません。少し意外でした。ここで彼について書かれているのは「力はあるのにメンタルで弱いところがある、敗戦をきっかけに変わってほしい」という話。これはベイスターズの若手投手陣全般に期待されていることだと思うので、昨夏の大型連敗中に踏ん張れず試合を落とした彼をその代表格としてあげたのかな、と思う反面、それなら山口俊投手や高崎健太郎投手もそういう試合けっこうあったじゃん?と思い、ここで言及すらされない2人に対するキヨシの落胆を感じた次第です(他のページでも話に登場しないのです)。エース高崎・守護神山口の時代が来ると思われていた時期もあったのに……。

気になるDeNAベイスターズ内幕事情のようなことは当然ですがあまりありません。「就任直後は挨拶もろくにできなかった」「スタッフも暗かった」というような話くらいでしょうか。それから中畑監督といえば自称“長嶋茂雄の一番弟子”であり、長嶋さん愛で知られるところですが、さすがに今回はそこは本筋から外れるためか、あまり言及はありません。しかし忍ぶれど色に出でにけり……という感じで(ちょっと違う)、本題でないのに過剰な愛がにじみ出ているところが良かったです。2回も「神のような存在」と記述しているところとか、特に。しかも2回めは、

多くの人が感じているはずだが、長嶋さんの存在はもはや神に近い。あの人がちょっと笑っただけで、周りのみんなは元気になり、さわやかな気分になれる。(P137) 

 などとさりげなくすごいこと言ってます。霊験あらたか・招福万来・ご利益満載という感じですね。確かに、プロ野球界の現人神ではありましょう。

中畑監督は今年就任3年目、ラストイヤーになるのではないかといわれておりますゆえ、今年はいい成績を残して成功論の本を次は読みたいですね。

松永多佳倫・田沢健一郎『永遠の一球』

 

永遠の一球---甲子園優勝投手のその後

永遠の一球---甲子園優勝投手のその後

 

 ・投手の酷使問題の扱いに揺れる心情

・著者2人、片方はビデオドキュメンタリー的、片方は“神の視点”的

・最終章「大野倫」が書きたかった本なのでは?

 

愛甲猛、土屋正勝、吉岡雄二畠山準正田樹、石田文樹、大野倫(敬称略)と、高校野球の聖地・甲子園で優勝を果たしプロ入りした元投手たちのその後の生き方を追う1冊です。1人に1章を割き、先述の順番で章は並びます。

読んでいていちばんおもしろかったのは、2人の著者の筆の運びの差異だったかもしれません。愛甲さん、吉岡さん、正田さんは田沢氏が、それ以外の4人は松永氏が執筆していおり、その書き分けはあとがきに記されています。読み始める段階で「この手の本で共著ってどうやってるんだろう?」とまえがき・あとがきに最初に目を通しておきました。一発で覚えられるわけではないので、章を読み進めるごとに「これはどっちが書いてるんだっけ?」とあとがきをめくって確認すると、だいたい当たります。それくらい2人の著者の書き方が違う。

田沢氏のほうは、取材を進める自分が主体となったテキストが多いと感じます。愛甲さんの章では、彼のスキャンダルを含めたイメージを踏まえて、取材の申し込みをするにあたり、「取材はしたいが、取材の申し込みは憂鬱だった」と記す。そしてどうにか連絡を取ってみた愛甲さんの礼儀正しさ、取材してみての良くも悪くも“真っ直ぐ”さにおもしろみを感じていく過程を、彼が語る高校時代の話やプロに入ってからのエピソード、あるいは引退後の厄介事という事実に交えて描いてゆきます。吉岡さんの章でも、メキシカンリーグに在籍する彼のもとを尋ねて取材をしている様子を、メキシコの風景と田沢氏が推し量る吉岡さんの心情を重ねあわせるようにして描き出すのです。そうした筆運びは視覚的で、読んでいる身にもメキシコの乾いた田舎町に立つ吉岡選手を想像させます。

一方の松岡氏のほうは、どちらかというといわゆる神の視点的というか、自分自身の感想や感情よりも、当時の甲子園や練習のさまを見てきたかのように、自分自身が体験したかのように書く。どちらが良いかは好き好きですが、僕自身は風景と心情を重ねあわせるような描き方にグッときてしまう(ある意味では安易なドラマティックさに流されてしまう)タチなので、田沢氏の担当章のほうがおもしろいと思いながら読み進めていました。

ところが最終章、というか「特別章」に入ると、不意に様子が変わります。

この章は、沖縄水産高校を91年夏の甲子園で準優勝に導いたエース・大野倫投手の章です。ここは松岡氏の担当です。これまでの松岡氏の執筆部分にも全くなかったわけではないけれど、本章では取材をする「私」が強く打ち出されてきます。

私が大野倫に初めて取材したのは、今から四年前の〇七年七月上旬、ちょうど沖縄県予選の準決勝の試合が行われていた最中である。(中略)そんなことよりももっとショッキングな場面に遭遇したことを今でも忘れはしない。その出来事以来、私の中で「大野倫」という存在が日増しに大きくなっていった。(中略)大野輪と出会ったことが私の人生にとっても大きな転換期となる。そして何もかも捨てて私は沖縄に移住した。本当の大野倫を知りたいがために。(P229) 

これは導入部の最後に記された文です。ここに至るまでに、大野投手というのがどういう存在であったのか、導入部から説明がなされます。91年夏の大会でただひとりのエースとして、肘の骨折を隠して773球を投げ準優勝。夏の大会後にようやく行った手術では、大きく剥離した肘の骨が摘出されたと報じられています。悲劇ーーと言ってしまうといささか綺麗すぎるほど、甲子園につきまとう高校球児、ことにエースピッチャーの酷使という問題の象徴たる人物として、今でも折にふれて挙げられる存在である大野投手。彼のこの出来事によって、ようやく95年に高野連は投手に対する規定を設けます。

そこまでは僕も知っていますので、ふんふんふん、と読み進めていってこの突然の沖縄移住宣言に驚かされます。そしてその後、続きを読むにつけ、もしかしてこの本はもともと、松永氏が大野さんについてのノンフィクションを書きたかったがために成立させたものなのではないか、と思うようになりました(彼だけが準優勝投手で、括りである「甲子園優勝投手」というところからは外れているのもそう思った一因です)。

松永氏は沖縄に住み、たびたび大野さんと会い、当時のチームメイトたちとも酒を酌み交わし、91年の沖水野球部の様子を知ろうとします。なぜ骨折というほどの重症を負いながら、彼が最後まで投げ切ることになったのかーーこれはおそらく高校球児、甲子園に関する取材を重ねてきた松永氏にとって、何十年と議論が繰り返されてきた酷使問題に対するひとつの解を出したかったのではないか。昨年も済美高校・安楽投手をめぐって同様に議論が巻き起こりました(蛇足ですが、この記事がおもしろかったです)。

91年夏の決勝、大阪桐蔭に敗北した試合の映像を大野さんは「負けた試合だから」観たくないという。ピッチャーとしての自分に未練はない、プロでは打者でいったことにも悔いはない、と語る。一方で松永氏は、そういう大野さんと会うたびに引きずる影のようなものを感じている。そして長い期間をかけて松永氏は大野さんから、

「肘を壊していなかったら、 もしかしたらピッチャーとしてプロに行ったかもしれませんね」

そしてこうも言った。

「甲子園で万全の状態で投げたかったですね、一球でいいから」(P257)

ついにこの言葉を引き出します。これは取材者冥利に尽きる成果であっただろうな、と邪推します。大野さんは「甲子園球児・あの人は今」的な企画でメディアに出ている回数が比較的多い方だと思うので、なおのことこうした本音がようやく出てきたことは、この本のハイライトのひとつと思います。

この後、本全体の締めとして松永氏は「なぜ高校球児たちはそこまでして投げるのか?」という命題の考察に直接的に移ってゆきます。そして元沖水監督の「これと決めたピッチャーと、監督は心中したい。どんなに厳しいことを言おうと、勝負師になりきれない。背番号1をあげた子と心中する」という言葉を聞いて、「すべてがわかった」と書く。

ここまで読んで、少し意地悪な気持ちになりました。そりゃその年の夏はそうかもしれない。そのつもりでエースに託すでしょう。エースもその思いがわかるからこそ、最後まで投げきる。そこに異論はありません。でも、彼の夏はその年しかないけれど、監督は来年、また別の子と心中するんでしょう? 僕自身、高校野球を消費し、引いては高校球児の身体をコンテンツとして消費している身として、彼らの投げたい気持ちを尊重することがいいのか、球数制限などをもっと積極的に導入すべきか、まだ答えを持っていない。この監督の言葉にも、やはり答えは見出だせませんでした。

川崎宗則『逆境を笑え』

 

 

逆境を笑え 野球小僧の壁に立ち向かう方法

逆境を笑え 野球小僧の壁に立ち向かう方法

 

 

・(ある意味)めんどくせぇ人

 ・ネガティブすぎて拒絶がすごい

イチローに始まりイチローで終わる構成の妙

  

川崎宗則選手といえば、「イチロー大好き」「超ポジティブ」「海外でもバカウケのハイテンションキャラ」というあたりが最近の印象でしょうか。あとはプロ野球好きな人なら「鷹のプリンス」時代もありますね。高卒4年目で1軍に定着し、その後も着実な成長を遂げて名実ともに若鷹軍団を率いる“顔”――それもかなり良い部類の――でありました。

こちらの本の構成は、川崎選手の語り口調に近い雰囲気で、メジャー挑戦→マイナーでの苦闘→子ども時代から高校まで→ホークス→日本代表(WBC)と、その時時で彼が感じていたことが綴られています。僕もこれまで「憧れのイチロー選手を追いかけてアメリカに渡り、マイナー落ちしようが明るくプレーを続ける“永遠の野球少年”」という天真爛漫……にはややイチロー選手に対する思い入れが強すぎてちょっとホラー感もありますけども、そういうイメージを抱いておりました。でも今回のこれで一変しました。この人、めんどくせぇ人だな。

川崎選手は全然明るくないし前向きでもない(それは本人も認めるところ)。むしろその真逆のところにいて、その暗さに自分が耐えられないから明るく振舞っていて、そのことに対して妙な開き直りを持っている人なんじゃないか。

3年の夏は鹿児島県大会の3回戦で負けた。みんな、泣いてた。おれも泣いてた。(中略)ずっと一人が好きだったし、今もそれは変わらないけど、あのときはみんなのことが好きになっていた。一人で練習するのが当たり前だったのに、グラウンドに行くと誰かがいて、一緒にやろうってことになる。(中略)それが、もうできない。自分でビックリした。あんなに寂しいとは思わなかったから。結局、別れるのがイヤで、一人でいたんだろうね。それほどいい仲間たちだった。誰かといると、いつか別れなきゃならない。それが切ないし、寂しい。寂しいのは好きじゃない。(P106-107) 

あるいは、この夏が終わり、大学進学を考え始めていた頃、ドラフト候補の可能性が上がった時。

ドラフトの直前に、九州のスポーツ紙が『ホークス隠し球、川﨑」』と1面にでっかく載せたことがあった。さすがに、おっと思った。小学生のときに、ドラフトで指名されたいと思っていたからね。ただ、中学、高校で現実を見て、無理だと思った。(中略)ドラフト前のランクも見たよ。俺の名前はあった。でもCだった。Aのヤツがいっぱいいた。指名されるのはAだ。おれはC。期待しとったら痛い目にあう。そう思った。そういう性格だったんだろうね。期待して、裏切られるのがイヤなんだ。(P112-113)

あるいは、ホークスに入って4年目以降の話をする中で。

やせ我慢する。言い訳しない。強がる。

強がるということは、弱さを見せないこと。弱さを見せないということは、本当は弱いということ。でも強がって、弱さを外に見せない。もちろん、誰かにわかってほしいと思うこともある。誰もわかってくれなければ、辛い時もある。

でも、みんな、わかってくれない。それはよく知ってる。わかってくれる人なんて、百人の内一人いればいい方だと思う。でも、百人に一人くらい、上辺だけでも褒めてくれる人がいたから、強がれた。(中略)

上辺だけでいいんだよ。上辺だけ褒めてくれれば十分。

だって、みんなが心からおれのことを考えて、本心で慰めてくれたりしたら、逆に迷惑だからやめてくれって思うよ。上辺でいい。おれ、人づきあいは上辺でいいと思う。(中略)

人間だもん。理性を持って人付き合いすれば、みんな上辺になって当然。上辺のおべんちゃらなんていらないなんて言ってたら、誰も褒めてくれなくなっちゃう。 (P164-165)

特に3つ目に引用したくだりは衝撃的でした。いや、ほんとに勝手なイメージですが、なんとなく「本音と本音でぶつかり合いたい」「そういう付き合いで人と人は分かり合える部分があると思う」とか言いそうだなーとか思っていたんです。でもこれはこれで合点がいくところもあって、こういう考え方だから「英語わかんないとこたくさんあるけど日本語でもいいからなんか言ってりゃイイ感じになるよ(超要約)」とか言えるわけですね。 

ノリがいいというのは(中村紀洋選手の話ではないです)、ある面においてはコミュニケーションが雑になるということでもある。とりあえずその場を楽しい方向に率先して引っ張って空気を壊さないようにする、そしてそれ以上深いところに話が及ばないようにする。なぜならそこから先に踏み込んでいくことが怖いから。まぁ悪く表現すれば、「とりあえずその場を楽しく過ごせればそれでいい」とも言えてしまうかもしれません。しかし川崎選手の恐れ方――これは恐れているといっていいと思うんです、だって「とりあえずこの場を〜」なんていう考えとは絶対違う。

「誰かといるといつか別れなきゃいけない」

「期待して裏切られるのがイヤ【※注:これは人付き合いの話ではないですが】」

「上辺だけでいい」

この3つ並べたら完全に臆病すぎてコミュニケーションうまく取れなくなってる人の発言ですからね。こんなふうに思うように至るまでに、一体どんな目に遭ってきたのですか?と、あの、爛爛とした虚ろな黒目に問うてみたいと思ってしまいました。というか、川崎選手はどちらかというと本当は“コミュ障”なんじゃないか。その裏返しとして、コミュニケーション過剰な人になっているのではないでしょうか。

そしてそんな川﨑選手に差し込む一条の光が、イチロー選手なわけです。この「光」というのは僕が思ったんじゃないです、本人が書いてます

第7章「WBCイチローの衝撃」は、章題からしてそうですが、イチロー選手の話が続きます。P193から始まる「鬼神」の項は06年大会決勝キューバ戦の話なのですが、ここの筆(喋り)の乗り方がすごい。

準決勝、決勝でのイチローさんの動きは抜群だった。バッティングも、ピタッとはまってる。これじゃ、誰が投げても無理だぞって思った。まさにゾーンに入っていた。

ここでくるのか。

ここで入るのか。

ここで来たのか。

もう、イチローさん、どんだけ強えんだと。百聞は一見に如かず。本当にすごい。大したもんだ

あのとき、俺の目の前に鬼がいた。鬼神がいた。鬼の神がいたね。

鬼がいて、やっつけてくれる。おれはついていくしかない。鬼の後ろをついていく。目の前で、鬼が相手をボコボコにしながら進んでいくんだから。 

脳内再生余裕でした感のある、川崎選手のこの喋りっぷり(笑)。イチロー選手のことになると止まらない感じ。最初にメジャーの挑戦・マイナーでの苦闘のエピソードを持ってきてしまうのは、そこにイチロー選手のトレード事件というキャッチーすぎる出来事も入ってくるとはいえ、もったいなくない?と読み始めは思ったのですが、この最終章まで来ると納得がいきます。川崎選手にとって、初めてイチロー選手と直接対面して一緒に野球をしたことが大きすぎるほどの出来事だったこと。そしてその体験を得て、もっとイチロー選手に近づきたいーーMLBに行ってみたいと思ったこと。イチロー選手にはじまりイチロー選手に終わる構成の妙技に得心がゆきました。

川崎選手のネガティブさは、以前西岡選手の『全力疾走』を読んだ時に西岡選手に対して感じたことと少し似ています。WBC北京五輪代表で一緒で、年齢も近いからそれなりに親しい2人が、実はそうした部分でも共鳴していたのならおもしろいな、と思いました(考えてみれば、2人とも幼少期からの憧れの高校<西岡選手はPL、川崎選手は鹿児島実業>に入れないという経験も共通しているのですよね)。そこいって、安らげる家庭を築くことができた川崎選手(本の中で、妻の協力とその存在に対する感謝がたびたび述べられます)と西岡選手で、自分の中の昏さとの向き合い方が今は変わってきているような感じもします。川崎選手はあとがきで

正直、他の誰かに読んでもらうことを考えて書いたわけじゃない。今まで、誰かと深いことを話す機会があったわけじゃないし、おれの考えていることなんか、おれだけがわかってればいいといつも思っていた。おれの考えなんか人に伝えなくても、世の中にはなんの影響もないと思っていた。 

 と、変わらぬ他者への拒絶っぷりを発揮しています。でも続けて、

いや、もちろんおれの考えは他人様には影響しないよ。でも、おれのなかに溜まっていたものを吐き出してみて、スッキリした。

なんか、いいよ。おれらしくて、いい。

40歳になれば考え方も変わるかもしれない。

でも、ここには32歳の俺がいる。 

と締めるのです。まぁ実際んとこここまで筋金入りの性格だったら40歳になったところであんまり考え方は変わらないんじゃねぇかなとも思いますけれども、自分の本音との向き合い方を川崎選手はもう会得していて、西岡選手はそれがまだなんじゃないかな、という勝手な読みをいたしました。『逆境を笑え』というタイトル、「野球小僧の壁に立ち向かう方法」というサブタイトル、「アメリカ人よりポジティブ!」という帯文から濃厚なポジティブ教の臭いが漂うように感じて半笑いで手にとったですが、中身は真逆で、おもしろうございました。文藝春秋さま及び川崎宗則さまにおかれましては勝手な思い込みでたいへん失礼いたしました。

新浦壽夫『僕と野球と糖尿病』

 

ぼくと野球と糖尿病

ぼくと野球と糖尿病

 

 

・野球選手であることが“仕事”だった人

・過渡期の巨人軍への忸怩たる思いと長嶋さんへの一筋縄でいかない思慕

・出自と病に翻弄されながら自分の足で立とうとする繊細な強さ

 

なぜ文藝春秋さんはこの本を絶版にしたまま文庫にしないのかと問いたい。それくらい良い本です。

新浦壽夫さんは70年代の巨人で活躍した投手です。またの名を金 日融。在日韓国人2世として静岡で生まれ育ちます。とくべつ野球が好きだったわけでもないものの体が大きかったために少年野球をはじめ、静岡商業高校の野球部で投手として頭角をあらわし、甲子園に出場。68年夏に準優勝と成績を残し、大注目を浴びます。当然プロのスカウトが駆けつけてくるわけですが、当時、外国籍の選手は日本で生まれ育っていてもドラフト制度の適用を受けませんでした。それゆえMLBサンフランシスコ・ジャイアンツも含めた6球団が彼のもとに押しかけ、結局巨人が契約金を上積みして学校を中退させるという荒業に打って出て、獲得します。新浦選手のこうした経緯を経て、日本の学校で教育を受けたものは外国籍であってもドラフトにかかる制度ができたのです。在日コリアンのみならず、例えば日本ハムファイターズ陽岱鋼選手なんかもそうですね。

まぁこのあたりは少し野球が好きな人なら知っている話ですし、この本の中でも扱いはたいへん少ないです。その後すぐ、巨人に入団してから怪我に泣かされるルーキー時代の話がつづられます。

この本全体を通して感じるのですが、トーンが暗い……暗いというと少し語弊があるかな。あるいは、この本を読んだのと前後して中畑清さんの『キヨシのいつも絶好調!』を読んだせいで余計そう感じるのかもしれませんが、

 

キヨシのいつも絶好調!

キヨシのいつも絶好調!

 

 

(これも絶版なのか……)

あまり明るい話はないです。でも別にクソ真面目なんだな、という感じでもない。なんというか、とにかく野球を仕事として捉えている人、という印象を受けます。今でいうと今季から横浜ベイスターズに移籍した久保康友投手に似ているかもしれません。

長嶋監督政権時代の75年、左のリリーフとしてひたすら登板させられた時の気持ちを、彼はこう語ります。

後年、あの時の試練がピッチャー新浦を作ったのだとよくいわれた。本当にこの時の経験が投手としての私を一人前にしたのかどうかは、私自身にもわからない。当時の気持ちを素直にいえば、「もう投げたくない」の一言に尽きる。プレッシャーではない。ただ投げたくなかった。球場にも行きたくなかった。 

こうした率直な心境が、むやみな修飾無しによく語られます。こうした話の中では「この時の経験が私を作った」と書いてしまうことはとても簡単だと思うけれど、新浦さんは決してそうは語らない。真摯で率直、それは本人も認める神経質さや繊細さと表裏一体であり、プレー以外の面でストレスを溜めやすかったであろう人柄が読み取れます。

そして長嶋監督時代に活躍した彼は、その後にやってくる藤田監督時代にうまく乗りきれず、83年に巨人軍から戦力外通告を受けます。もう野球を辞めようかーーその前後で長嶋監督が持ってきたのが、韓国・三星ライオンズへの入団の誘いでした。巨人で100勝をあげたい、そう言う彼に対する長嶋さんの発言の書き方に、長嶋さんという人が新浦さんにとってどういう人物だったのか、見えるような気がします。

名球会の入会資格は二百勝だしね、そうこだわらないで、一度向こうで投げて、また帰ってくればいいじゃないか」

こだわらない明るさで、長嶋さんはいった。 

ここで地の文に「こだわらない明るさで」と持ってくるところに、構成者の意図ーーひいては新浦さんの気持ちが見えると思うのです。神経質だとご本人もこの本の中で書いているように、新浦さんというのはこだわってしまう人です。だから巨人から放出されたエピソードの末尾に、今でも

巨人軍への思いを吐露しようとすると、けっこう複雑な感情が揺れ動く。その気持ちをひとことで説明するのが難しいのだ。 

 と記す。ここだって、先ほどと同じように簡単に、クリシェでまとめてしまうことはできるはず。でもそうはしない、自分の感情をできるだけ確かに書き留めたいとこだわってしまう。だからこそ、「こだわらない明るさ」を持つ長嶋監督への、中畑さんほどあけっぴろげではない、ひっそりとした思慕が見えるなぁ、と思うのです。

その後結局韓国リーグ入りを決断し、

「私生活も含めてマスコミに取り上げられるようなことを起こしたくない。どんな些細な事でもマスコミ沙汰になれば、きっとトラブルは新浦個人を離れて、政治的、国の問題に発展すると思う……」 

というほどの悲壮な決意を持って彼は三星に入団します。

比較的よく知られた話ではありますが、韓国では在日韓国人に対する差別が存在する、といわれています(実際、新浦さんもそのように記しています)。これは今でも変わらないらしいですが、 日韓基本条約からまだ20年しか経っていなかった84年当時は、今よりもはるかに深刻であったことでしょう(今は今でまた別の緊張関係にありますが……)。

そもそも韓国のプロ野球リーグが設立されたのは82年。まだまだ球界自体が過渡期にある中で、新浦選手は自身の日本球界での経験をできるだけフィードバックしようと努力しながら、同時に韓国での生活にできるだけ馴染もうとしつつ、85年には25勝という偉大な成績を残します。そうした中で、糖尿病を発症するわけです。本の半ば過ぎから、糖尿病の話が本格的に始まります。「糖尿病性昏睡と低血糖昏倒」の違いを比較する表が載っている野球選手の本なんて、この本くらいでしょう。

87年に帰国して以降、92年に引退するまでのエピソードは、野球よりも病の話が中心に語られます。そして引退してから後は、どういった闘病生活ーーというか、病気との付き合い方をしているか、という話が中心です。

あとがきにある一文がとても興味深かった。

昭和二十六年、1951年に生まれ、私たちの世代は「シラケ世代』と呼ばれ、自分自身の物語をさまざまに熱く語る上の世代の人たちから疎んじられていたような気がします。 

野球選手の本のあとがきで「しらけ世代」という単語が出てくるのはちょっと斬新だな、と(笑)。こうした世代性に加え在日韓国人であったがゆえに偏見や差別を受けた若い頃があって、病気について語ることも避けてきた、と新浦さんは記しています。この本の中では時代性を帯びてとてもドラマティックである彼のプロ野球生活と闘病生活がつぶさに語られているにもかかわらず、決して内容のわりに熱い筆致にはなっていないのには、そうした新浦さんのキャラクター性が強く反映されているのだな、と最後まで読んで納得した次第です。

それと、あとがきに突然、日本聖道教団創始者・岩崎照皇の名前が出てきてびっくりしました。いわく、

巨人軍晩年のころ肩を壊し、藤田監督にご紹介頂いた岩崎照皇先生には心から感謝しています。 

とのこと。プロ野球選手の信仰事情も興味のあるところです。